衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年11月09日    金曜日     第4 回の開示 合計994回の開示

わけもない瞋恚とは意根のものである

自らが怒りを覚える時、心の中で絶えず自らの感情を制御しようとします。意識が一時間も制御を試みても、意根は依然として制御されません。これにより、意根が確かに調御し難いことが分かります。多くの場合、瞋心が生じた後でも、自らなぜ瞋心が生じたのかを知らず、怒りながらもその理由が分からないなら、それは意識自体の怒りではありません。意識の怒りは原因や理由を見出すことが可能です。意根の怒りに対して、意識は理解できず、意識は「怒りに原因がない」と考え、理由も分からず無根拠だと判断します。実際には、意根が怒る原因を意識は知覚できず、意根の心理をありのままに把握することができません。意根に対する無知により、意根のあらゆる情緒を意識は不可解で理不尽なものと認識します。意識が大いなる智慧を生じ、意根の特性を理解した後に初めて、意根の心理状態を掌握し、意根の煩悩を降伏させることができるのです。

——生如法師の開示
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