全ての未解決の問題は疑情となり得ますが、深浅の差があり、継続できるかどうかの違いに過ぎません。疑情にはまた「どこに疑いがあるか」という問題が存在します。単に意識が疑いを起こすだけならば浅薄であり、すぐに忘れ去られ、遂究されることなく、ほとんど断続的なものとなり、真に問題を解決することは困難です。心の深層にある意根が疑いを起こしてこそ、朝から晩まで絶え間なく追究し、行住坐臥全てにおいてその問題を疑い、疑問が解決されるまで心の念続き続けるのです。
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