衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年04月05日    日曜日     第1 回の開示 合計2245回の開示

世間における二種の断滅空

世の中には二種類の断滅空、あるいは悪取空が存在し、人々に深刻な害を及ぼし、直接衆生を三途に堕とし六道を輪廻させる。一つは外道の無所有空で、前世後世の存在を否定し、死後はすべてが終わると考え、因果もなく善悪の業報も存在せず、何をしても構わず、ただ自由気ままに欲望のままに生きれば良いとする。

もう一つの悪取空は、大乗如来蔵法を修学する者たちに見られる。彼らは因果業報や前世後世の存在を認め、身中に不滅の如来蔵が存在することは理解しながらも、五欲の享楽に耽り、苦修実修を厭い、戒律を守り禅定を修めることを拒む。そこで五陰十八界の一切の虚妄な機能作用を否定し、全てを如来蔵に帰結させ、如来蔵が五陰の一切の機能に取って代わると主張する。これにより五陰は無為自然となり、仏道修行も成仏も不要で、如来蔵そのものが既に仏であるとする。あるいは五陰の放逸な振る舞いを放任し、五陰の行う一切は如来蔵の所作であると説く。如来蔵が作る五陰身には因果も業報もないため、縁に随って自在に生き、戒律も禅定も必要ないとする。如来蔵は本来戒を犯さず、禅定を具えていると主張するのである。

この二種類の断滅空・悪取空論は性質こそ異なるが、結果は相似ている。因果を撥無し、形骸を放浪し、悪を断ち善を修めることができない。

如来蔵を我として執取する故に、無相を執取することになる。凡ての有相を排斥し、既に有相を超越して無相に達したかのように振る舞う。しかし実際に無相なのは如来蔵であり、五陰身は依然として有相に完全に囚われている。現状では根本的な超越など不可能である。戒律も禅定もなく、般若の智慧が決定的に不足しており、心の念いが常に相の中にあるからだ。もし強いてこれらの相を隠蔽しようとするなら、結局は悪取空に堕するしかない。業報が到来する時には必ず直面せざるを得ず、悪報の相からは最早逃れられなくなる。

しかし既に有相を超越し無相に達したという者たちが、なぜあえて肉食を選び「食肉の相」に執着せず、菜食を選ばず残飯に随順しないのか。相が無いなら凡てを縁に任せ簡素に生き修行すれば良いはずなのに、なぜあえて飲食や養生に拘るのか。有相の戒は守らず、専ら無相の戒を保つというなら、飲食や衣服・住居の選択そのものが相ではないのか。なぜ享楽の相を選び苦行の相を選ばないのか。ここに無相は虚偽であり、有相こそ真実であることが明らかになる。大乗を学ぶことは極めて善いことだが、正しく学ばなければ大乗の法も毒薬と化す。これを捨てずに執着すれば必ず死に至る。良薬が毒薬に変わるのは、いったい誰の過失か。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

仏菩薩のご恩(二)

次の記事 次の記事

『楞厳経』巻第九 原文(一)

ページのトップへ戻る