衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月13日    月曜日     第1 回の開示 合計2267回の開示

大乗と小乗の仏法は元来分かつことができない

仏法は歴来一乗道であり、一仏乗であって、一切の仏法は成仏の法の中の一法であり、大乗と小乗は仏法の中で常に不可分である。一方は基礎であり、他方は向上と転進、段階的な進歩である。何故分ける必要があろうか。

南伝部派は阿羅漢を仏と見做し、仏を阿羅漢と見做すことで、仏を誹謗する罪が甚だ重い。故に戒体を持つこともできず、証果を得ることもできない。彼らが大乗を仏説と信じない以上、楞厳経を取り出しても無益である。信は道の根源・功徳の母なり。信無き者は信根無く、善根も無く、修行して道を成ずることはできない。彼らに何劫学ぼうとも徒労に終わる。もし彼らの宣伝を助け、その勢力を増長させれば、仏法を誹謗し仏教を破壊する勢力を助長し、仏教と大乗経典の滅亡を早めることになり、その罪業は実に極めて大きく、無間地獄に堕ちる業である。

今後、魔王が仏法を学ぶ者の愚痴を利用し、偽りの考証を装い、東伝と西伝を捏造して仏教を四分五裂させ、全ての者が成就を修めず、悉く波旬の掌中で生死輪廻することになる。誰が仏時代の弘法の経緯と真実の出来事を考証する資格と智慧を持ち得ようか。唯識種智を具えた仏時代の菩薩が再来し、仏と共に修行し、当時の種子を持つ者でなければならない。しかし菩薩が真に唯識種智を具えているなら、経典を見れば即座に判断できるであろう。何が仏説か、そうでないかを、曖昧に弁別できないことはない。凡夫が何の能力をもって古代仏教史を考証できようか。ましてや素人の仏教愛好家が考証するなど、まことに天下の笑止というべきである。

貪りは度すことができ、瞋恚も度すことができる。ただ愚痴のみ、仏も如何ともし難い。瞋恚は地獄に堕ちるが、地蔵菩薩が地獄で救済される。貪りは餓鬼を生むが、諸仏菩薩が餓鬼道で救済される。愚痴なる細菌類・畜生類は誰も救う術がなく、仏法を理解できず、人語も解しない。

彼らは禅定に対する誤解も甚だしく、多くの者が大妄語を吐き、自分や他人が四禅定を得たと称する。実際には彼らは未到地定の暗境界を通過したに過ぎず、そのような定中にも想念が無く、自我が存在しないかの如き状態を、四禅と誤解している。そのような団体に証果を得た者がいなければ、証果成就者を導き出すことなど到底できず、後ろに付いていてもただ業を造るだけで、何の利益も得られない。

或る者は南伝が大乗を否定する説を好むが、どうしようもない。仏教が滅び大河の水が枯れれば、どうして小河に水があろうか。大乗法が滅びれば仏教は滅び、仏教が滅びれば何の南伝北伝があろうか。何の解脱があろうか。外道の法を学ぶ方がましである。最低限仏法を誹謗せず、地獄業を作ることはない。

——生如法師の開示
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