入流とは解脱の聖道の流れに入ることであり、解脱するにはまず生死の束縛である我見・邪見 (mithyā-dṛṣṭi) を断除しなければなりません。それ以降は、三縛結を具備した凡夫ではなくなります。その中で禅定は欠くことのできないものであり、欲界の未到地定 (anāgamya-samādhi) 以上の禅定を具えてはじめて、我見 (ātma-dṛṣṭi) を断じて聖道の流れに入ることができます。禅定のみ、あるいは初禅定のみを具えていて、我見・三縛結を断除していないならば、聖道の流れに入ることはできません。そうでなければ、四禅八定を具えた外道もみな聖道の流れに入ってしまったことになります。それでは、外道の四禅八定を修めても解脱できるということになってしまいませんか。すでに三縛結を断じたからこそ聖道の流れに入るのであって、入ってからはじめて断じる能力が得られるのではありません。
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