修行によって意根の力を十分に養うことができれば、意根の能力が強大となり、助手や道具を必要とせず、六識や色身に頼ることなく、単独で一切の法を成就することが可能となります。例えば、二禅定以上では五識は必要とされず、四禅定以上では色身の呼吸や脈拍、心臓の鼓動による栄養供給を必要としません。無想定においては意識を要せず、無所有処天では色身を必要とせず、滅尽定においては自らと第八識のみで足ります。俱解脱の大阿羅漢や八地菩薩は、意根単独で一切の法を了知することが可能であり、六識を必要としません。
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