衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年04月27日    月曜日     第1 回の開示 合計2304回の開示

意識の思惟と観察における重要な役割

隔陰の謎、泥酔、夢遊、催眠といった現象から、意識の作用がどれほど大きいものかを観察すべきである。意根を説く時、全てを意根に帰して意識を軽視しがちである。今、意識の作用を思惟すること、これが我見を断つ最も重要な一環である。

この問題の思考経路は次の通りであるべきだ:隔陰の謎の種々の現象を思惟分析し、どのような現象があるかを明らかにし、それらの現象の中から意識の作用の特徴と重要性を観察する。これを意識の内観とも証自証分とも称する。

次いで泥酔後の現象を思惟分析し、それらの現象から意識の作用と特性及び重要性を観察する。夢遊状態と覚醒後の現象を分析し、それらを通じて意識の作用特性と六塵を領受する重要性を観察する。催眠及びその後の現象を思惟分析し、これらの現象における意識の作用特性と、六塵を分別する意識の重要性を明らかにする。

以上の思考方法は人に魚を与えるのでなく、漁の術を授けるものである。漁の要領を会得し、これを活用できれば、後は自ら道を切り開ける。

観察力を養うことが肝要である。現象を発見し分析する能力は、主に意識の智慧によるが、意根の智慧も含まれる。まず意識の智慧が具足して初めて、意根の智慧も向上し具足する。意識の智慧が先行し、意根の智慧が後続する。意根に智慧が具足すれば、来世においては意根の智慧が先立ち、意識の智慧が後から続く。この理を推し進めれば、意識は新たな智慧を生じ、再び意根を導いて他の智慧を具足させる。生死を重ねる中で六・七識が漸次転換され、遂に識を転じて智と成すのである。

多くの者は意識の智慧すら持たず、眼前に明らかな事実があっても見て見ぬ振りをし、無知蒙昧のままである。極めて明白な現象も理解できず、理路を整えることもできず、幾度説明されても依然として要領を得ない。もし意識の思惟力や観察分析能力が欠如しているなら、智慧を具足することはおろか、意根を薫染させ智慧を具足させる段階には至れない。無明を破らねば、解脱の望みは全くない。

——生如法師の開示
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