衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年05月06日    水曜日     第2 回の開示 合計2326回の開示

どのような人が相応しい仏弟子であるか

学校において、優れた学生とは、必ず徳・知・体の三つの面でバランスよく発展した模範生です。仏教において、仏陀の良き弟子とは、戒律・禅定・智慧の三学を完成し六波羅蜜を具足した修行者であり、才能と心性が完璧に調和した存在でなければなりません。徳と才能を兼ね備えた人物は極めて稀な人材であり、特定の能力はあっても心性が不善で柔軟性を欠く者は重用すべきではありません。心性が善良で能力不足の者ならば、辛うじて使用し育成することは可能ですが、能力と心性の両方を欠く者は断じて用いるべきではありません。

心性は無我の境地に現れます。我見を断つ以前において、人によって我執の重さに差があります。我執の薄い者は当然ながら我執の深い者より我見を断ちやすく、悟りの境地に至りやすいのです。常に他人を支配しようとする者は我執の深い者であり、指導を受けることを嫌い従順でない者もまた我執の強い者です。心性が調和されないのは、全て我執が作用しているためです。

我執の薄い者は比較的柔軟で協調性があり、人事に対して執着せず、自らの地位や権勢を殊更に気にかけません。団体において最も問題を起こすのは我執の強い者たちであり、強力な指導者がいなければ、その団体は混乱に陥ります。

仏教団体には必ず護法神が加護しており、各人の心性を護法神は悉く見通しています。その者がどのような心性を持ち、どのような目的を抱き、いかなる役割を果たし得るかを、護法神は明らかに把握しています。従って個人が団体において担うべき役割は護法神が管理し、私心が強く団体に破壊的な作用をもたらす者に対しては、護法神はその者を排除し隔離する方策を講じます。

——生如法師の開示
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有情と非情がともに一切種智を円成する意味

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