衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年05月06日    水曜日     第1 回の開示 合計2325回の開示

縁覚たちは十二因縁を証するのであって、解するのではない

『阿含経』には縁覚が十二因縁を順観・逆観する教えが説かれています。その修行過程の記述は簡潔ながら、実際の修練は極めて困難を伴うものでした。深甚なる禅定の中で意識が思惟を巡らすと同時に意根が参究するため、その悟りは必然的に実証的境地に至ります。禅定を離れた平常時は意識のみが働き、意根が同調しないため理解は得られても証悟には至りません。

仏陀は縁覚の具体的修行法を詳細に開示されませんでした。過剰な説明が人々を理屈に偏らせ実践を疎かにすることを懸念されたためです。経典中の簡素な記述から、縁覚の悟りが単なる意識の論理推論によるものと誤解してはなりません。彼らの禅定は極めて深遠であり、意識が優位となることなく意根の参究が主導します。禅定が深まるほど意根の働きが顕著となり、浅い場合は意識の推測に依存せざるを得ません。

同様に阿羅漢たちの悟りも深い禅定に基づきます。過去未来の五蘊を観察する際、彼らは推論や憶測を用いず現量直観によって把握します。現在の五蘊身を透徹すれば、同質の過去未来の五蘊も自ずと明らかとなるのです。例えば同規格の製品を検査する際、数点を抽出すれば全体の品質を判定できる如く、阿羅漢の智慧は比量を超えた現証に立脚します。禅定なき者には意識の推測作用が混入せざるを得ませんが、深い三昧の境地においては純粋な現量観察が成立するのです。

——生如法師の開示
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