楞厳経に説かれております。「円明照らすところ生ずる所、所立つに照性亡ぶ」と。円満にして明妙なる菩提の光明が、その生じた法の場を照らすとき、もし人がこの法の場を実有として立て、真実不壊の法とし、我がものと執着するならば、一葉をもって目を蔽い、妄りを見て真を見ず、本体たる妙明真心の自性の輝きを悟れず、生死はここより流転して止むことがありません。
黒板にチョークで字を書くとき、それらの字は何でございましょうか。皆チョークの粉にほかなりません。もし字だけを認めるならば、粉を認めないことになり、チョークの粉は埋もれてしまいます。チョークは自性清浄心、円満妙明の真心に喩えられ、粉塵は自性の光明に、黒板の字は世俗法に、黒板そのものは世俗界に喩えられるのでございます。
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