衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年05月15日    金曜日     第1 回の開示 合計2343回の開示

参禅とは意根を念々に専念させることです

問:時々物を長期間使わないと置き場所を忘れ、探そうとしても見つからず、仕方なく探すのを諦めることがあります。しかし重要な物なので心が気になり、数日経って突然置き場所を思い出し見つかる場合、これも意根の働きによるものですか。

答:はい師父。意識は一つの事をずっと考え続けることができませんが、意根が注目した事柄は折に触れて思い出されます。通常、意識は意根が気に掛けていることを認識しません。物を探すこと、問題を解決すること、何年も前の学生時代の夢を見ること、昔の友人を思い出すこと、これら全て意根の働きです。意根の気掛かりは時間の制約を受けません。

問:意根が絶えず念じ続けること、これが禅の原理であり修行の方法です。これは天への梯子であって神秘ではなく、魚を与える釣り竿であって魚そのものではありません。

答:その通りです師父。如何にして意根を持続して念じ続けさせるかが重要です。修行に関する事柄より世俗的な事柄をより強く気に掛ける傾向があることに気付きました。多くの人が第八識について語りますが、実際は意識の想像や推測が多く、意根が真剣に思考したり気に掛けたりしたことではありません。夢を見れば容易に観察できます。意根は過去世のこと、最近の出来事、心配事、家族のこと、遙か昔の事柄などを思い巡らしますが、第八識について考えることは殆どありません。まさに天梯であり、理想と現実の隔たりは依然として大きいのです。

問:理想を現実と錯覚し、自らを欺いて「悟りを得た」と言うのが恐ろしい。どのような「私」が得たというのか。

答:意根が世俗を気に掛けるのは長い長い習慣です。急に方向を転換することは不可能で、再誕の覚者でない限り、自分がそうでないと自覚しているなら、過度に楽観的に考えるべきではありません。容易なことではないのです。

正月期間、戒律を遵守しようと戒律内容に基づき観行し、毎日特定の課題を反復して観察しました。ある問題に一日中取り組むと、最初は断続的でした。状況に対処するには強い定力が必要で、心が境界に出入りを繰り返します。次第に修行を重ねるにつれ、境界に囚われる回数と時間が減り、自己を観照できるようになり、やがて心に課題を抱えることが習慣化しました。他のことをしている時やふとした瞬間に関連する道理が突然理解でき、観行を続ける度に進歩し、遂には夢の中で戒律を守るべき境界に遭遇しても対処できるようになり、目覚めた時に心が軽快になりました。振り返ると、関連する問題に遭遇しても自然と坦然とした心境でいられるようになりました。

——生如法師の開示
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