夢の中では意根だけがあって意識がないということはあり得ません。そうでなければ夢を見ていることも認識できないからです。夢を見ていることを知る「知」は意識であり、思考可能でかつ知覚され得るのは意識心です。意根の思量作用は一般人の意識では観察できません。
意根を証得するのは比較的容易ですが、意根の働きを観察するのは非常に困難であり、如来蔵を観察するよりも難しいことです。意識と意根が絡み合っており、分離が極めて困難なため、無数の人々は意識のみを観察できても意根を観察できず、意根に関する法を説くと、こうした人々はそれを意識の働きだと言い、智慧が甚だ不足しています。
なぜ入眠直前や覚醒直前に意根を発見しやすく、意根を薫染しやすく、意根と相応しやすく、意根を観察しやすいのでしょうか。この時、意識の了別作用が弱く、現行が少ないため、意根を覆い隠すことがないからです。
真夜中に眠りについた後、録音を流しても問題ありません。意根は睡眠をとらないため、如来蔵が耳根を通じて声塵を絶えず勝義根に伝達すると、意根はすべてを了知できるからです。ただ判別がやや不明瞭なだけです。もし音が大きすぎれば、意識が目を覚まして音声を分別することになります。
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