法塵は色法塵・心法塵・非色非心法塵を含む。色法塵は法処所摂色を指し、心法塵は七つの識と心所法を含み、第八識と心所法もこれに属する。非色非心法は心不相応行法を指す。無色界の天人禅定中において、意識も定境を縁とし、これは独影境である。意識の思惟は独影境を必要とし、色法塵を思惟することもあれば、心法塵を思惟することもあり、あるいは両者を併せ持つ場合もあり、一定ではない。
無色界の天人には生存環境としての色法が存在せず、従って法処所摂色も存在しない。故に環境と呼ぶべきものはなく、独影境の法塵のみが如来蔵の種子より直接生起する。これにより色法塵の定果色が妨げられることはない。
もし定境に七識と心所法の法塵が存在する場合、意識は七識と心所法を縁とせねばならない。この時意識の動きが粗雑であることはあり得るか。それは不可能である。いかなる者であれ、定境に七識と心所法が存在する場合、意識は必ず思惟しており、この定境は浅く二禅以下に属する。二禅以上は無覚無知の状態であり、覚観思惟を離れる。初禅以下(初禅を含む)においてのみ覚観と思惟が存在する。
法処所摂色とは、五塵色法上に顕現する法塵を指し、色法塵と称される。これもまた四大種子によって構成される。
心法塵は意識が対応し了別し得る八識心及び識心の全ての心所法を指す。意識が智慧を具える時、特に転識得智を成就した後、意識は八識及び八識心所法の一部を了別し得る。全てを了別し得る時、それが第三転識得智を成就した仏の果位である。意根も意識に依って心法塵を了別し得る。悟後には了別が増加し、転識得智後には更に一部を了別し得、成仏後には全てを了別し得る。
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