衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年06月09日    火曜日     第3 回の開示 合計2387回の開示

人に依って法に依らざる故にこそ議論が生ずる

意根の働きを現量のままに如実に観察するには、唯識の種智の智慧を具え、最低でも初地の菩薩の観察智慧がなければならない。

意根を観察できず、意根を真実に知らないからこそ論争が生じる。浅い法に論争がないのは、誰もが現量で観察できるからである。観察できないものについてこそ論争するのであり、そうでなければ何を論じる必要があろうか。白は白、黒は黒である。白黒を判別できぬからこそ論争する。

意根が持つ心所法とはいったい何か、実際に観察検証できる者がいるだろうか。第六識も第七識も染汚煩悩に覆われ、障礙がこれほど重いのに、どうして実際に観察する能力があろうか。もし検証できる者がいるなら、その検証過程を述べてみよ。

法に依るとは、意根が運行する真実の相に依るのである。もし意根を観察できなければ、どうして意根の真実相に依って意根を定義できようか。どうして実際の実相法に真に依ることができようか。実相法に依ることができなければ、それは人に依ることであり、人に依るのは仏法修証の宗旨に合わず、誤りや漏れを生じ、仏意に背き、ましてや道を得ることはできない。

——生如法師の開示
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