独頭意識に対応する独影境は、無質独影と有質独影に分けられます。無質独影とは、意識が妄想によって作り出した境界であり、実体が全く存在せず、現実にも眼前にも存在しないものです。空華や兎角の如く、四大種子を少しも帯びていません。制約が極めて少ないため、一部の人々は虚構を好み、現実離れした空想に耽り、精神の拠り所を得て疲労を緩和し、退屈や朦朧状態を避けます。過去を回想し未来を夢想するように、天馬空を行くが如く際限がありません。このような独影境は四大種子を消耗する必要がなく、禅定力も不要で、脳への影響が比較的少ないため、頻繁に現れても拘束力がありません。
有質独影とは、意識が単独で分別する五塵と多少関連のある境界で、五塵上の四大の質を若干帯びています。意識は五塵境を基盤に想像を働かせ、あるいは誤解を生じます。例えば縄を見て蛇と錯覚する場合、縄は色塵性境であり、意識は本来性境に基づいて縄の形状を弁別し縄の名称を出すべきですが、誤って蛇と判断し蛇の形象と名称を生じ、場合によっては驚きの声を上げます。蛇は独影境であり、五識は弁別に関与せず、蛇の形象は色塵境と分離せずに現れるため、これは有質独影です。
また花を見て意識が加工想像を施し、未開の姿を想い描き、開花後の様子を想像し、大きさや色彩を変幻させ、枝葉を増やし、あるいは更に多くの花を連想して花束を構成する例も同様です。本を見れば同時に別の書物を連想し、異なる装丁や名称を想起するなどが挙げられます。
従って我々が遭遇する境界や心に浮かぶ想念に、実体ある法や不変の真実性など存在しません。これは純粋に心の無明と退屈が生み出す余計な事柄であり、寂静を得られぬまま混乱を増長させるものです。衆生は無明の故に寂静の楽しみを知らず、事なきに事を起こし、際限なく愚痴を重ねるのです。
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