外道の無論は、目で色法を見ながら、無であると説く。既に無であるならば、何故に言説があるのか。外道の有論は、明らかに一切の色法は無常空であるのに、真実不壊であると説く。仏の説かれた法は、有でも無でもなく、有でもなく無でもなく、有でもあり無でもあり、有でもなく無でもない。その一つを取り上げて他を論じないのは、外道の見解である。仏法は常に円通であり、左に説き右に説いても、全て道理に適う。然るに外道の論は常に自己完結せず、自ら矛盾する。
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