まず前提として、意根の了別作用が劣っているというのは六塵の境において言われることであり、かつ意根が単独で六塵の境に対面した際に現れる特性である。ただし意根の了別する範囲は極めて広く、その了別方式も独特である。六塵の微細相は六識によって了別されるため、意根がこの機能を備える必要はないが、意根は六識が六塵を了別することを縁とすることができる。つまり六識の了別した結果は全て意根に帰し、意根によって処理される。意根に一法でも知らざるものがあれば、六識のその部分の了別機能は無意味となる。なぜなら六識は主体となれず、六塵を了別するのも意根が了別するためであり、意根に奉仕するものであり、また意根の指図と同意によるからである。六識はただ意根が六塵を了別する道具に過ぎず、六識が了別するものは全て意根が了別し得る。六識の相分は結局意根の相分であり、異なる点は一方は直接的であり、他方は間接的であるというだけである。
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