色身の休息が不十分であるとなぜ意根に影響するのでしょうか。身心は互いに依存し合っており、この心は表面的には六識、すなわち意識のように見えますが、実際には意根が色身に依存し、色身を通じて境界を感知した後に造作が生じます。顕著な例として、六識が活動していない時、意根は完全に色身に依存して存在し、自身の能力が及ばない時には六識を目覚めさせて代行させます。これによって身口意の行いが現れるのです。
身根である身体は四大で構成された木のようなものであり、もし身体に感覚があるならば、死者の身体にも感覚が存在し、木石にも感覚がなければなりません。感じる能力を持つのは識心であって、物質的な色法ではありません。身心が相互に影響し合うのは、身体を構成する四大の状態が異なれば、如来蔵がそれに基づいて現す内六塵も異なり、識心がそれを分別した後の覚受も異なるからです。同様に、識心も身体を構成する物質的な四大に影響を与え変化させ得るのです。
1
+1