もし人がある法義を誤解し、自らの見解に固執して他者の意見を否定する場合、如来蔵はこのことをどのように記録するのでしょうか。誤解した内容に基づいて業種を形成するのか、それとも実際の理体に従って記録するのでしょうか。
如来蔵は常に事実に基づいて業種を形成します。この場合の事実とは、その人が法義を誤解しているということであり、本人が考え選択した内容ではありません。たとえその人の意根における思心所が法義をこうあるべきと選択したとしても、実際は異なる事実があれば、如来蔵は誤った思想観念を記録して業種を形成します。後世にこの業種が現行する時、それは愚痴の果報として現れるのです。
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