身心は互いに依存し、影響し合うものである。意識に障害が生じる場合、それは必ず勝義根に問題があることを示す。勝義根の問題は、一つには過去世の業種が縁熟して現行し、業報が現れたことによる。もう一つは後天的な要因によって勝義根に障害が生じたことによる。肉体を超越して色身を観察すれば、それは不断に潤滑油を注ぎ続けなければ働かないロボットのようなもので、真に貪愛に値するものではない。高貴で徳ある魂は、色身よりもはるかに価値が高く、智慧ある魂の価値は色身とは比べものにならない。従って我々は皆、高次元の心性を追求し、心の解脱と智慧を求めるべきである。
高次元の心性とは識を転じて智となした状態であり、禅定と智慧を具足し、色身を変化させて相好荘厳を具現させる力を持つ。男性的な特長と女性的な特長を併せ持ち、外貌においても両性の特徴を調和させ、雌雄同体の境地に至る。禅定の修行によって雌雄同体を成就すれば、色身は無漏となり、異性に依存して自身の不足を補う必要がなくなる。このように人格が独立すれば、自ずと完成に近づき、将来は蓮華に化生することができる。初禅以上の禅定を得れば、雌雄同体の初歩を体得できるが、初禅の定力では不十分であり、長時の修行、あるいは長劫の修練が必要である。
これは禅定と色身の観点から論じた雌雄同体であるが、最も根本的な雌雄同体とは精神的・心性的なものを指す。精神力、意志力、性格、気質、風格、人格、教養、品行などにおいて、男性的な美点と智慧、女性的な美点と智慧を併せ持ち、心志の不足を異性に求める必要がない。自らが二重性を具現し、既に完全あるいは完全に近く、世人を超越している。大菩薩方は概ね雌雄同体であり、両性の優れた点を具現する。智慧においても身体相貌においても同様である。仏菩薩の相貌は男女を区別できず、智慧においても男女の差はない。故に大丈夫と称される。
色界天人の相貌に男女の区別はなく、皆初禅以上の禅定を有する。極楽世界や多くの仏国土の人々にも男女の区別がなく、性別という概念が存在しない。色身は永遠に若々しく、これは禅定・福徳・智慧が感得した果報である。性別の区別がない状態では、交わりが極めて自然で違和感がなく、是非も煩悩もなく、安楽自在である。これに対し、二つの性別が共存する環境では、多くの煩雑事が生じ、精力と心力を浪費することになる。
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