目を閉じて色を見ず、耳を塞いで声を聞かずとも、六塵の境界は五識・六識・七識によって現出されたものではなく、全て如来蔵より幻化されたものであります。五識・六識・七識は、如来蔵が変造した相を心中に顕現することのみ可能であり、自ら相を変造することはできません。而して相の顕現には一定の条件が必要であり、条件が具わらざれば、心中に相は生じません。
眼識が花を見られぬのは、目を閉じて光明が無く、光明なきが故に眼識は光明相の花を見ず、然しながら光明なき闇を見ることはできます。修行において色陰区宇を突破せば、この例には当たりません。同じく、耳識が音声を聞き得ぬのは、声塵が耳に入らざるが故に、外界より伝わる音声を聞くこと叶わず、然しながら耳鼓の嗡嗡たる音は聞くことができます。
如来蔵が全ての相を変造するには、業種に依るのみならず、種々の縁(六識・七識の心所法を含む)に依り、更に六・七識の意欲と思惟に依らねばなりません。その後、七つの識が如来蔵と協調して相を顕現させ、六識はじめて知覚を有するのです。
12
+1