一部の人々は座禅のみでは成仏できないという意味を偏って理解し、「座禅で成仏できないなら座禅は不要だ」と考えます。座禅による禅定修行という一つの極端から、座禅を全く行わないという別の極端に走ります。いずれも極端な道を歩んでいるため、当然ながら成仏することは叶いません。
我々は皆、成仏には数多くの条件と因縁が必要であることを知るべきです。座禅による禅定修行も成仏の因縁条件の一つに過ぎません。座禅という一つの因縁条件だけでは、智慧を開くことも成仏することも到底叶わず、無数の因縁条件が必要です。従って修行の時間とエネルギーを全て座禅という一つの修行に費やすべきではなく、理論の学習と考察、三十七道品や菩薩の六波羅蜜などの実践も必要です。もし座禅という因縁条件を除去してしまえば、成仏に必要な因縁条件がまた一つ欠けることになり、より一層成仏から遠ざかります。
修行に成果を求めるなら、他の方面の修行も兼ね備え、総合的に計画を立てて偏りなく実践すべきです。自身の修行状況に応じて修行内容を適切に配分し、実践すべき教えは全て適切に修め、一方に偏って他を顧みないことがあってはなりません。
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