自らの智慧が未熟である場合、たとえ教えに依ろうとしても、正しく依ることができません。なぜなら、教えを理解できず、教法の真意や指向を見極められないため、往々にして教法を誤解し、間違った解釈をしてしまうからです。このように誤解した教法を基準に他人の説く内容を比較検討すれば、参照基準自体が誤っているため、導き出される結論も当然誤りとなり、他人の説く内容が正しいか真実かを如実に判断できなくなります。
智慧が未熟な場合、法に依りたいと思っても依る術がなく、同様に法理の真実の意味や指向を判断できません。法理に対しては誤解するか曖昧な理解に留まり、他人が説く法義を理解できず、真に悟ることができないため、他人の説く内容が正真であるかを如実に判断できず、自ら法益を得ることができません。さらに自己を誇示してあちこちで批判しようとすれば、誹謗の業を造り易く、自らの道業を阻害するだけでなく、愚痴と誹謗による悪報を受けることになります。したがって自らの智慧がまだ不十分な時は、ひたすら学び修行に専念し、いかなる法や人をも批判せず、明智な者として悪業を造らず、悪報を受けないようにすべきです。
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