衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年09月03日    木曜日     第3 回の開示 合計2589回の開示

雑阿含経 第十二巻 十二因縁(一)

(二八三)原文:かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国祇樹給孤独園に住したまえり。その時世尊は諸比丘に告げたまわく、結びつく法に於いて味着を生じ、心を顧みて縛らるれば、すなわち愛生ず。愛は縁って取を生じ、取は縁って有を生じ、有は縁って生を生じ、生は縁って老病死憂悲悩苦を生ず。かくのごとく純大苦聚は集まる。

釈:世尊は舎衛国祇樹給孤独園にて法会において縁起法を説く際、諸比丘らに告げたまわく、もし心の煩悩結縛に係わる法(六塵の境界のごとき)に対し、煩悩結縛に随って愛着心を生じ、常にその煩悩に係わる法を思い続けるならば、心はこの法に堅く縛られて解脱を得ず。味着を生じ不断に念想すれば貪愛が生起す。煩悩結縛に係わる法への貪愛あるが故に執取の心を生じ、執取を捨てず。執取を捨てざるが故に心は必ずこの法を離れず、後世の業種は残され、かくして必ず後世の五陰世間を有す。後世の業種が熟すれば五陰身は再び生じ、この法と乖離せず。生あるが故に老病死憂悲悩苦は五陰身に伴い、かくして無量の生滅大苦は再び聚集す。

結とは結縛・煩悩・係縛・心を禁閉するなり。結に九種あり:愛結・瞋結・痴結・嫉結・我見結・取結・疑結・吝結・慢結。これらの結は自己を何処に係縛するや。三界六道輪廻に係縛す。結所係法とは何ぞや。六塵境界、三界世間法なり。随生味着とは何ぞや。世俗法に滋味趣味ありて貪心等の煩悩を満たすと認め、心これを向往し、然る後に顧念を生ず。顧念とは何ぞや。心絶えず想念し、心配し、盼望し、得んと欲し、かくして執取を続く。

心縛とは何ぞや。心これらの法に纏縛され、係縛されたるなり。係縛されたる後、心は貪愛等の煩悩を生起す。貪愛生じたる後は如何なる表現あるや。執取・把取・保愛・貪執不捨。誰が誰を把取し係縛するや。明らかに自心の六塵法を執取するも、実は心六塵法に把取され係縛されたるなり。故に心縛の最も重き結果は執取にあり、業種を残し、後世の三界有法を生ず。

もし比丘或いは如何なる修行者なりとも、自心を係縛する生滅結縛に対し、その結縛に随って貪愛心を生じ、これらの結所係法に滋味あり、享受すべく、快適なりと認め、常にこれらの法を思い続くるならば、心はこれらの結縛に係縛され、かくして貪愛は生起す。貪愛生じたる後は内心に執着の心を生じ、然る後にこれらの結縛を執取す。衆生心に執着あるや、後世出生の条件即ち因縁或いは種子は形成さる。後世出生の種子形成されたる後、因縁成熟或いは種子成熟の時、生命体は出生す。生命体出生したる後、老病死憂悲悩苦は生命体に伴い現る。後世出生の因縁条件とは何ぞや。三界法:欲界法・色界法・無色界法なり。

貪愛生じたる後は執取占有し、執取したる後は三界有を生じ、後世の生存条件は具備され、三界法は生起す。三界法あれば生命はその中に生じ出ず。生命出生したる後は老病死憂悲悩苦を伴い、純大苦聚は生起す。もし貪愛等の煩悩を滅すれば心結は解け、係縛なく、再び三界五欲六塵に束縛されず、かくして心は解脱す。

——生如法師の開示
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