衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年09月06日    日曜日     第2 回の開示 合計2596回の開示

催眠の原理(二)

二つ目の催眠事例では、催眠師が人を催眠状態に導き「眠れ」と告げると、その人は瞬時に睡眠状態に入りました。催眠がかかった後、催眠師は「あなたは今非常に空腹だ」と暗示をかけます。すると対象者の意根(マナス)はこれを信じ込み、激しい空腹感を覚えます。なぜ意根が信じるのか?それは意根には微細な弁別能力がなく、意識が六塵境界の真偽や催眠師の言葉の正当性を分別しないためです。従って催眠師の言葉を全て真実として受け入れ、催眠師がその人の意識を代替するのです。

空腹の暗示をかけた後、催眠師が「空腹か?」と尋ねると「はい」と答えます。そこで催眠師は「リンゴをあげよう、二口食べれば満たされる」と言い、実際には玉ねぎを渡しながら「リンゴだ」と告げます。意根は玉ねぎとリンゴを区別できず、これをリンゴと信じ込むため、玉ねぎを食べながらリンゴの味を感じるのです。これが虚妄の分別と感受です。

想陰と受陰はこのような虚妄の分別・感受であり、真実の理など存在しません。衆生が世俗界に対して抱く知覚と感受も同様に虚妄であり、生死輪廻に実質的な意味はありません。『楞厳経』仏説の想陰に関する記述を参照すると、家に座した者が「高い所に立っている」と想像する例が示されています。崖の上に立つと想うや、実際にそのように感じ、落下への恐怖から神経が緊張し、足裏に酸っぱいような感覚が生じます。

また酸梅を想うだけで、実際に口にしていないにも関わらず唾液が分泌される現象も同様です。これらは全て想陰が生み出す虚妄の結果です。六塵境界と五陰身もまた妄想が生み出した虚構であり、虚妄の心が虚妄の境界を創造し、更に虚妄の分別と反応を引き起こします。五陰世界は陽炎や蜃気楼の如きものなのです。

この催眠事例は釈尊が説かれた想陰の虚妄性を証明しています。日常生活の一切の事象、衆生が生生世世に経験する全ては想陰の産物であり、真実性も道理もありません。『楞厳経』に説かれる想陰・受陰・行陰・識陰の虚妄を学び、実際の観行に取り組めば、五受陰の全てが虚妄であることを悟るでしょう。これこそが覚りを開く『楞厳』の教えです。

衆生は三界という舞台で戯曲を演じ、虚妄に生きています。狂想・妄想・虚妄の想いによって、実在しない世界を捏造するのです。創造された世界が真実か? 決してそうではありません。しかしこれを真実と錯覚し、更に虚妄の境界を生み出し、偽りの反応を続けます。この連鎖に終わりはなく、無意味な生存と遊戯が続くのです。

生死の大劇で様々な役柄を演じ尽くしても、一切が虚構であることに気付きません。受陰も想陰も真実ではなく、病的な妄想が生み出す虚妄の苦しみを味わうのです。この理を禅定の中で観じ、己の愚痴を深く自覚すべき時でしょう。いつか覚りの時が来るのでしょうか。覚らねば、永久に自らを欺き、貪愛に縛られたまま生死の戯れを繰り返すのです。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

破僧罪とは何でしょうか

次の記事 次の記事

論理的思考とは何ですか

ページのトップへ戻る