いわゆる病とは、四大の違和、地水火風の不調和であり、組織機構に変化が生じ、色身の基本粒子が変化し、身根などの五浮塵根に病変が現れることを指します。五勝義根にも病変が生じる可能性を含み、またブラックボックス内の内相分五根の病変も含まれます。しかし衆生の六識が感知する病変は全てブラックボックス内の病変であり、ブラックボックスの外に出るものではありません。従ってこれは虚病・仮病であり、真の病ではないのです。例えば目が痛いと感じる場合、浮塵根である顔の目が痛いのではなく、ブラックボックス内の目の影像が痛いと感じているに過ぎません。影像に痛みなどあるはずがなく、単なる電気信号です。同様に筋肉や骨の痛みを感じる場合も、浮塵根の身体が痛いのではなく、ブラックボックス内の電気信号が痛いと感じているのです。電気信号に痛みなどあるはずがなく、影像に痛みなどあるはずがありません。錯覚でしかないのです。
たとえ頭痛を感じたとしても、それはブラックボックス内の電流信号で構成された仮の頭痛であり、真の痛みなど存在しません。肩の上の頭は痛んでいないのです。六識の感覚は全て信頼できません。なぜならそれらは虚相と仮相に対する覚知であり、ブラックボックス内の電流信号に対する覚知だからです。覚知しているのは移り変わる仮想の情景であり、その覚知後の受に何の真実性がありましょうか。受けると受けないとには何の差があるでしょうか。幻化した仮相に対して何をしようとも、為すも為さぬも空であり、覚ると覚らぬ、受けると受けない、諸法は本来のままです。ただ個人の生死の繫縛を増すのみであり、それ以外に何がありましょうか。
病の時、五根は痛まず、六塵は痛みません。六識が痛むなどということがあるでしょうか。六識に痛みなどあるはずがなく、塵性を持たないのです。生死こそが大病であり、衆生の病は重篤です。治療が必要であり、苦集滅道の四聖諦で治すのが最も効果的です。
2
+1