衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年09月14日    月曜日     第2 回の開示 合計2619回の開示

捨覚支と行捨の違い

捨覚支は七覚支の中で最後の覚支であり、念覚支・択法覚支・精進覚支・喜覚支・猗覚支・定覚支・捨覚支から成ります。捨とは一切の身心の負担や累贅を捨て去ることで、善悪を問わず、苦楽いずれの覚受も全て捨て、内心を清浄無為とすることを指します。

行捨は不害とも称され、悪しき不善の行為を捨て去ることを意味します。例えば、元来ある者に報復しようと考えていたが、今はその思いを捨て去った場合、あるいは他人を嫉み害そうとしていたが、今はその心を捨て去った場合がこれに当たります。悪行を捨て去り内心を清浄に保つ、あるいは善に住する状態を指します。ただし覚受そのものを必ずしも捨て去る必要はなく、喜楽や軽安などの覚受が残存する場合もあり、捨覚支とは異なる点が認められます。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

意根が夢の中と外の一切法を了別する

次の記事 次の記事

意根は絶えず審らかに思量するのに、なぜ睡眠が必要なのでしょうか?

ページのトップへ戻る