原文:狂心頓に歇む。歇む即ち菩提なり。富楼那よ、妄性かくの如し。何を因として在るや。汝ただ世間・業果・衆生の三種相続に随って分別せざれば、三縁断ずるが故に、三因生ぜず。則ち汝が心中の演若達多の狂性自ずから歇む。歇む即ち菩提なり。勝れたる浄明の心、本より法界に周遍す。人より得るに非ず、何ぞ労苦して肯綮を修証せんや。
釈:歇むとは心の狂性を歇ますことであり、六識七識を滅却することではない。演若達多が鏡中の頭を見て己が頭を失せりと妄執し、遍く奔走して頭を求めた如く、五蘊を我とし、一切境界を我とし、七識を我とするが故に自我を貪り、一切法を貪る。これ即ち心の狂いなり。
心狂うが故に、自ら本有する如来蔵を認めず、如来蔵の功能作用を意根の自己の功能作用と錯覚す。修行して此の狂心を歇ますに至れば、本心如来蔵を証得するなり。
衆生は常に外に向かって真実の自己を求め、如来蔵が己が五蘊の中に在り、一切法即ちそれなりと知らず。外に求めずして自らの中に回向して尋ぬれば、容易く発見するを得ん。元来それは別処に非ず。遂に結論を得ん:勝れたる浄明微妙なる如来蔵は、本より十八法界に遍満する存在なり。他者より得るに非ず、又多くの心血を費やし代価を払って修証するものに非ず。本来具足する己が宝蔵中の家珍なり。ただ業障の故に未だ発見せざるのみ。
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