衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年09月15日    火曜日     第3 回の開示 合計2622回の開示

修養と道の関係

身体に障害が生じ、禅定が妨げられる場合に限り、敢えて身体を修する必要があります。健康に問題がなければ、わざわざ時間と労力を費やして身体を修する必要はなく、禅定が妨げられていない限り身体に執着せず、身体を忘れることによって初めて禅定が得られます。心に常に身体の観念があれば、一には禅定を妨げ、二には身見が断ち難くなります。身体を空じ、身体を忘れ、これを気遣い世話することを止めれば、禅定は容易に現れ、身見は断ちやすくなります。

現代人と古人の修行方法は正反対です。古人は身体を気にせず、身体に時間も労力も費やさなかった結果、深い禅定を得て速やかに道を証得しました。現代人はほとんど全員が身体に従い、これを過度に大切にし、「身体を養うのは修行のためだ」と口実を作りますが、結局道は成就せず、身体も必ずしも健全に保てません。畢竟業障が存在するため、如何に養生しても身体は多くの問題を抱えます。仮に身体を健全に保てたとしても、内面の身見は増大し、身見が断たれない限り来世でも苦しみは尽きません。考える価値があるでしょうか。数十年の身体のために道業を遅らせ、真珠を捨てて砂粒を拾うとは、なんと愚かなことでしょう。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

『楞厳経』抜粋と解釈

次の記事 次の記事

どの意の念が功を奏するか

ページのトップへ戻る