衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2020年09月26日    土曜日     第3 回の開示 合計2650回の開示

雑阿含経(二八五)の一

(一)原文:かくの如き我聞けり。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住まわれた。その時、世尊は諸比丘に告げられた。「我が宿命を憶念し、未だ正覚を成ぜざりし時、独り静かなる処に在りて、専精して禅思に勤しみ、かくの如き念を生じき。『世間は入り難し。所謂、生あるも老あるも、病あるも死あるも、遷るも受生するも。然るに諸の衆生は、生老死及びその所依について如実に知らず』」

原文:「我はかくの如き念を作す。『何の法あるが故に生有あるか。何の法の縁あるが故に生有あるか』と。即ち正思惟して、無間等の知を起こし、『有あるが故に生有あり、有の縁あるが故に生有あり』と知りき。復た思惟して、『何の法あるが故に有有あるか。何の法の縁あるが故に有有あるか』と。即ち正思惟して、如実の無間等の知を起こし、『取あるが故に有有あり、取の縁あるが故に有有あり』と知りき」

——生如法師の開示
前の記事前の記事

五蘊は何によって生じるのか

次の記事 次の記事

雑阿含経(二八五)その二

ページのトップへ戻る