衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年10月12日    月曜日     第2 回の開示 合計2695回の開示

菩薩の六波羅蜜の教え

我々が仏法を学び如来蔵を証得し、心を明らかにして本性を見る真実の菩薩となるためには、菩薩が修めるべき法を修行しなければなりません。菩薩は六波羅蜜を修行すべきです。第一に布施波羅蜜、菩薩は必ず布施を修めねばなりません。一方で衆生と善縁を結び、衆生が必要とするものを施すことで、衆生はあなたを信頼し、共に仏法修行に従うようになります。他方で自らの福徳を養い、福徳が具足して初めて悟りを開き、真実義の菩薩として仏門に入ることができるのです。

 心を明らかにした菩薩は仏門に入りますが、未だ心を明らかにしていない菩薩は仏門の外にあり、真の菩薩とは言えません。故に菩薩はまず布施行を修め、自らの福徳を具足させねばなりません。また衆生と縁を結ぶことで、衆生を救う機縁が生じます。衆生は喜んであなたの随学弟子となり、あなたは衆生を導いて修行を進め、成仏の時にはこれらの衆生が皆あなたの仏国土で仏法を護持するでしょう。故に布施は極めて重要なのです。

 第二に持戒波羅蜜、戒律を守ることで心は矩を越えず清浄となり、罪業や過ちを犯さず、悪業に縛られることもありません。戒律を守る清浄な心があって初めて禅定を得、禅定があって観行と参禅が可能となり、真理を明らかにして第八識を証得できるのです。真の菩薩に故意に戒を破る心はなく、もし故意に破れば真の菩薩ではなく、性障が重く仏門に入る資格が無いことを示します。真の菩薩となるには、最初は受動的に、次第に自発的に戒律を守り、最終的には守るべき戒が無くなります。心が清浄となり、戒を破る心が無く、全ての行いが自性清浄心に相応する時、意識的に戒律を守る必要がなくなり、自然に身口意の行いが戒律と仏法に適い、如来蔵の体性と一致するのです。これが心の戒を保つことです。

 第三に忍辱波羅蜜、忍辱を修めることも心を清浄にし、自らの性障を調伏し、衆生と善縁を結ぶことです。衆生が多くの辱めをもたらしても、心を鎮めて忍び、報復せず瞋心を起こさなければ、衆生との怨みを解消し善縁を結べます。自らの心性と性障煩悩も効果的に調伏され、これこそ真の菩薩の心行であり、真の菩薩の証しです。故に忍辱波羅蜜を修めねばなりません。

 第四に精進波羅蜜、菩薩は仏法に精進努力し、怠ってはなりません。布施に精進し、福徳を修め衆生と善縁を結ぶことに精進し、持戒に精進し、忍辱に精進し、禅定に精進し、般若智慧を修めることに精進します。常に精進修行することで善法が速やかに増長し、速やかに心を明らかにして本性を見ることができます。これが精進波羅蜜であり、生死の彼岸に至る道です。

 第五に禅定波羅蜜、菩薩は必ず禅定を修め、心を一境に止め散乱も昏沈もせず、定力を養わねばなりません。これにより様々な観行が可能となり、仏法を証得できます。この定には四禅八定の定と、大乗法・如来蔵法に対する確信不疑の決定心があります。明心見性して真の菩薩となる法、成仏する法、般若実相法に対し、心に決定を得ます。四禅八定の修行、特に初禅以前の未到地定は必ず修めねばなりません。これが観行参禅の基礎であり、この定があって初めて良く観行し、自心本性を証得できるのです。禅定は福徳を生じ(定福)、大乗般若智慧を増長させ、生死の彼岸に至る道です。

 第六に般若波羅蜜、般若とは自性清浄心である如来蔵、不生不滅の心体を指します。般若経典の中心である六百巻の『大般若経』は全て如来蔵を説き、『般若心経』『金剛経』など多くの般若経典が如来蔵の般若体性を説いています。これらの教えを学び理を明らかにし、禅定を修めた後、参禅します。六波羅蜜が具足して初めて参禅する能力が生じ、時節因縁が熟せば自性如来蔵を証得し、心を明らかにして本性を見ることができるのです。

 菩薩の修行は主にこの六つです。最後の般若波羅蜜が最も重要で、全ての修行は大智慧を得るためです。智慧があって初めて一切法を成就し、智慧によって解脱を得、智慧によって生死を超え仏道を成就します。故に我々は皆、般若智慧と如来蔵法を修めるべきです。

 しかし如来蔵を証得するのは容易ではありません。我々は永劫にわたり五蘊十八界の仮相に執着し、七識の作用を我と執着することで自性を覆い、真実の法を見失っているからです。まず我見を断ち、その後如来蔵を参究すれば比較的容易になります。そのため小乗の『阿含経』を修め我見を断ち、初果・二果となって五蘊十八界の仮相を一つ一つ排除し、これらの仮相の中から真実を探求しなければなりません。

 五蘊の生滅する虚妄の法の中から、不生不滅の明珠を探し求めます。我見を断てば容易に見出せます。仮相を排除すれば真実が顕れるからです。我見を断つ前は五蘊の妄相を明珠と錯覚し、真の自性如来蔵という明珠を見失いがちです。五蘊十八界を全て排除すれば、自性清浄心を見出し速やかに仏門に入ることができるのです。

——生如法師の開示
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