衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月10日    火曜日     第3 回の開示 合計2775回の開示

雑阿含経(二九六)之二

(二)原文:かの如来は自ら覚知し、等正覚を成じ、人々のために説法し、開示顕発する。すなわち縁起するが故に、老病死憂悲悩苦あり。これらの諸法は、法住・法空にして、法如・法爾なり。法は如より離れず、法は如に異ならず。審らかに真実を諦観し、顛倒することなし。かくの如く縁起に随順するを、縁生法と名づく。すなわち無明・行・識、名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老病死憂悲悩苦、これを縁生法と名づく。

釈:この法によって修行成就した如来は、皆自ら覚り自ら証して等正覚となり、その後あまねく人々のために説法し、因縁法・縁生法を開示顕発する。すなわち生という現象を縁として老病死憂悲苦悩があると説かれる。これらの因縁法・縁生法は常住するが、しかもこれらの法は皆空であり、本来このようで、理もまたかくの如し。これらの法は真如より離れず、真如に異ならず、仔細に観察すれば皆真実の理であり、顛倒ではない。かくの如く縁に随順して生起する法を縁生法という。具体的には、無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生じ、識を縁として名色が生じ、名色を縁として六処が生じ、六処を縁として触が生じ、触を縁として受が生じ、受を縁として愛が生じ、愛を縁として取が生じ、取を縁として有が生じ、有を縁として生が生じ、生を縁として老病死憂悲苦悩が生ずる。これが縁生法である。

四諦・十二因縁・無明・生老病死といった世間の縁生法は皆世間に常住するが、これらの法は相の上に存在するだけで実質的には存在せず、空である。これらは全て第八識が顕現したものであり、また第八識そのものである。これが法如の意味である。第八識に異ならず、第八識より生じ、第八識の属性を帯びることを不異如といい、これらの理は本来このようであることを法爾という。すべての五陰法・六根法・六塵法・六識法・四諦法・十二因縁法は真如より離れず、ただ真如のみが真実である。他の法は皆真如に随って出生したものである故に、仮の生滅無常なるものだ。ここに仏は明らかに説きたまう、縁生法は真如より離れず、第八識より離れぬと。

——生如法師の開示
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