(三)原文:多聞の聖弟子はこの因縁法・縁生法について正しく知見し、過去世を求めず。「我が過去世は有るか無いか」「我が過去世は如何なる類いか」「我が過去世は如何なるものか」と言わず、未来世を求めず。「我が未来世は有るか無いか」「如何なる類いか」「如何なるものか」と言わず、内に猶豫することなく「これは何等のものか」「何故に前にこれ有るか」「誰が終に如何なるものとなるか」「この衆生は何処より来たり、此処に没して何処へ往くか」と思わない。
釈:多聞の聖弟子は因縁法・縁生法について正知正見を具え、前世に貪着せず、未来世を貪求せず、内心にこの類いの疑念を懐かず。寂静解脱を求める修行者は前世の身分を考えず、未来世の妄想を断ち、ただ現世の苦滅を求める。菩薩道を行ずる者は未来世の修行と衆生救済を考える。故に阿罗汉の解脱には五蘊色なく、菩薩の心解脱には必ず五蘊色ある。
原文:もし沙門・婆羅門が凡俗の見解に繋がれ、我見・衆生見・寿命見・忌諱吉慶の見解に縛られる時、これらを悉く断じ根本を断つ。多羅樹の頭を截つが如く、未来世に生ぜざる法を成ず。これを多聞聖弟子の因縁法・縁生法を如実に正知し、善見・善覚・善修・善入するという。仏この経を説き終えられし時、諸比丘仏の説を聞き歓喜奉行せり。
釈:沙門婆羅門が世俗の妄見から解脱し、我見等の根本を断ち切る様は多羅樹の切断に似て、未来世に再生せしめず。多聞聖弟子は因縁法の真実を体得し、正しい修行道に入るのである。
0
+1