原文:かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく「無量の三昧を修め、専精に念を繫ぐべし。無量の三昧を修め、専精に念を繫ぎおわりなば、かくのごとく如実に顕現すべし」。何をか如実に顕現するという。老死の如実なる顕現を謂う。乃至行の如実なる顕現に及ぶ。これらの諸法は無常にして、有為有漏の法なり。かくのごとく如実に顕現す。仏この経を説きおわりたまいしとき、諸比丘仏の説きたまいし所を聞き、歓喜して奉行せり。
釈:世尊は諸比丘に告げたまわく「汝ら無量の禅定を修め、定中に一心不乱に精勤して十二因縁の法に念を繫ぐべし。無量の禅定に精勤して十二因縁の法に念を繫ぎおわりなば、法義は心中に如実に顕現するなり」。如何が如実に顕現するや。老死の法が心中に如実に顕現す。老死の現象、老死の因、老死の縁、老死の集起する所以、老死の滅する所以、老死を滅するがために修むる八正道、ことごとく如実に顕現し、心中に明らかなり。生・有・取・愛・受・触・六入処・名色・六識・行のこれらの法に至るまで、それぞれ心中に顕現す。これらの法の現象、これらの法を生ずる因と縁、これらの法の集起する所以、滅する所以、これらの法を滅するがために修むる八正道、すべて心中に如実に顕現す。これらの法はことごとく無常にして、有為有漏の法なり。この理が心中にかくのごとく如実に顕現するとき、解脱の大智慧を得るなり。
如実とは法の本然の状態、真実の人の知らざる状態を謂う。世に知られたる表面の現象にあらず、生滅・変異・無常・苦・空・無我の理なり。心中にかくのごとく法が顕現するとき、智慧は刹那に生起し、心は解脱の境に住するなり。
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