(一)原文:かくのごとく我聞けり。一時、仏は舎衛国の祇樹給孤独園に住したまえり。その時、世尊は諸比丘に告げたまわく「四種の食あり、衆生を資益し、住世を保持し長養せしむ。何等を四とするや。一には粗抟食、二には細触食、三には意思食、四には識食なり」。時に比丘、名を頗求那という、仏の後ろに住して仏に扇ぎしが、仏に白して言う「世尊、誰がこの識を食するのでしょうか」。仏、頗求那に告げたまわく「我は識を食する者ありとは説かず。もし識を食する者ありと言わば、汝はかくのごとき問いをなすべし。我は識を食とすると説く。汝は『何の因縁によって識食あるや』と問うべし。我は答えて言わん『未来の有を招き、相続して生ぜしむ。有あるが故に六入処あり。六入処を縁として触あり』と」。
釈:世尊は比丘たちに告げられた「四種の食が衆生を養い助け、衆生が保持され長く世に住することを可能にする。第一は粗末な飲食、第二は微細な触食、第三は意識と意根の思食、第四は識心の了別食である」。この時、頗求那という比丘が仏の後ろで扇ぎながら問うた「世尊、誰が識心を食とするのですか」。仏は答えられた「私は識を食する者があるとは説かない。もし説くならば、そのように問うのが適切だが、私は識が衆生を資益する食であると説く。汝は『どのような因縁で識食があるのか』と問うべきである。私は答えるであろう『識食は未来の存在を招き、三界の存在を相続させ、存在がある故に六入処が生じ、六入処を縁として触が生ずる』と」。
問題:仏はなぜ七識を食する者なしと言われたのか?あるいはなぜ七識を食とする者なしと説かれたのか?
原文:頗求那また問う「誰が触するのですか」。仏、頗求那に告げたまわく「我は触する者ありとは説かず。もし触する者ありと言わば、汝はかくのごとき問いをなすべし。汝は『何の因縁によって触が生ずるや』と問うべし。我はかく答えるべし『六入処を縁として触あり』。触を縁として受あり」。また問う「誰が受けるのですか」。仏、頗求那に告げたまわく「我は受ける者ありとは説かず。もし受ける者ありと言わば、汝は『誰が受けるや』と問うべし。汝は『何の因縁によって受あるや』と問うべし。我はかく答えるべし『触を縁として受あり』。受を縁として愛あり」。
釈:頗求那が再び問う「誰が触するのですか」。仏は答えられた「私は触する者があるとは説かない。もし説くならば、その問いが適切だが、汝は『どの因縁で触が生じるか』と問うべきである。私は『六入処を縁として触が生じ、触を縁として受が生ずる』と答えるであろう」。頗求那がさらに問う「誰が受けるのですか」。仏は答えられた「私は受ける者があるとは説かない。汝は『どの因縁で受があるか』と問うべきである。私は『触を縁として受が生じ、受を縁として愛が生ずる』と答えるであろう」。
問題:なぜ触する者がないのか?なぜ受ける者がないのか?なぜ愛する者がないのか?なぜ取る者がないのか?なぜ存在する者がないのか?
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