いかにすれば相好荘厳を得ることができるのでしょうか。
如来蔵には相がなく、地水火風の四大種性にも相はありません。人相もなければ天人の色身相もなく、男相も女相もなく、畜生の相も餓鬼の相も、地獄の色身相も阿修羅の色身相も存在しません。しかし四大種性が色身を形成する際、次第に相を造り出していくのです。人相や畜生相、六道衆生の相、男相女相が形作られてゆきます。如来蔵が無秩序に勝手に変相するのではなく、心体に含まれる業種に基づいて顕現するのです。
されば我々は自らの色身がこのような姿であることを嘆いてはなりません。なぜ女身であるか、なぜ病苦があるか、なぜ相貌が端厳でないかを問うのではなく、嘆くべきは自らが過去世に造った業行なのです。どのような相貌も自らが造った業によって決定されます。故に良き色相を得ようと願うなら、善業を造らねばなりません。いかなる相が最も優れているかといえば、仏の三十二相八十種好こそが最上最浄の荘厳なる相貌です。しかし相好を成就することは容易ではなく、絶え間なく善業を造り、悪業と染汚業を滅し、最後には不善不悪の業を広く造り、仏陀となりて初めて仏の如き相好荘厳を得るのです。善業のみを造って天に生まれるだけでは不十分で、最終的には不善不悪の業を造り、心を清浄無為にしてこそ仏陀となり、最も円満なる相貌を具足するのです。
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