衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2020年11月30日    月曜日     第4 回の開示 合計2855回の開示

父子合集経講義(三十七)

衆生の色身内の細菌

火界には熱性と温性があります。もし身体に火性と温度性がなければ、私たちの胃の中の食物は腐敗せず、身体に吸収されません。したがって、どれほど美味しい食事を摂取しても、色香味がどれほど完璧であっても、胃に入った瞬間に身体の火性によって食物は腐敗します。私たちが摂取する飲食、吸収するいわゆる栄養は非常に不浄で汚れたものであるため、飲食に執着すべきではありません。常にこのような不浄観を修すれば、飲食への貪欲心を減らすことができます。

実際に仔細に考えてみると、私たちの身体は頭の先から足の先まで、内側から外側まで非常に不浄であり、至る所に細菌が存在しています。食物の腐敗分解は全て細菌の分解作用によるもので、細菌の助けがなければ私たちは食物を吸収できません。細菌が分解を助け、消化を助け、吸収を助けてくれるからこそ、衆生はこれらの有益な細菌に頼って正常な生活を営めるのです。したがって、自分自身の不浄な色身や他の衆生の不浄な色身に執着し愛着する必要はありません。

仏は衆生の色身を移動式便所のようなもの、大きな糞壺のようなものだと説かれました。滑らかな外皮に包まれていますが、この外皮を剥がせば内部は血塗れで、全て細菌に満ちています。外皮そのものも細菌で充満しています。皮を剥がした時、その人にまだ美しさや麗しさがあるでしょうか。全て血と肉、筋と骨で、仔細に考えれば衆生の色身に執着し貪るべきものは何もなく、非常に不浄です。もし私たちに天眼通があれば、目が顕微鏡のように皮膚や体内を照らし、内外全てが細菌であることがわかるでしょう。肉眼では見えませんが、顕微鏡や天眼では確認できます。それらの細菌も争いをしており、細菌の数が不均衡になると皮膚病やその他の疾病が発生します。細菌の数が不均衡な部位にこそ病が生じるのです。私たちが空腹を感じるのも細菌が空腹だからであり、細菌が食べ物を求めると私たちは食欲を感じ、貪食や美食に走るのです。

——生如法師の開示
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