眼根に愛楽を起こすは魔の境界なり
眼の自性は一切の法を離れ、一切の法に執着せず、男相も女相も存在せず、我々は眼根に愛楽心や貪愛心を起こす必要はない。眼根そのものには何らの相もなく、男相も女相も存在しない。もし眼根に愛楽を起こすならば、それは魔の境界であり、境に執着すれば即ち魔に堕す。如何なる事物に対しても喜怒哀楽の感情を生ずるは魔の境界であり、このような感情ある者は永遠に魔の支配下にある。魔王は波旬と称し、彼は欲界最頂の第六天に在り、その福徳大なるが故に欲界六天を統べ、人間界をも包含する。もし衆生が欲界法への貪欲を離れれば、即ち魔の掌より脱し、魔王は千方百計を尽くしてその者に再び欲界への貪欲心を生起せしめんとする。貪欲心ある限り、欲界より出離すること叶わず、これ即ち魔王の弟子たり、魔子なり。
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