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日常法話

2018年12月05日    水曜日     第4開示 合計1078開示

無生法忍の智慧境界

『大般若経』巻四四九に云う(大正蔵7・264b):「かくの如く不退転の菩薩摩訶薩は、自相空をもって一切の法を観じ、すでに菩薩の正性離生に入り、乃至少法も得可きものを見ず。得可からざるが故に、造作すること無し。造作すること無きが故に、畢竟不生なり。畢竟不生なるが故に、名づけて無生法忍と為す。斯の如き無生法忍を得るが故に、名づけて不退転の菩薩摩訶薩と為す」。

これは菩薩が諸法の空を観じて見道の初地に入り、始めて一切の法が畢竟不生の理を見ることを指し、これを無生法忍と名づけるのである。

釈:明心開悟して後不退転の菩薩は、自らの五蘊十八界の相貌がすべて空であると観察し、この角度からさらに拡大して、その他の一切の法を観察しても、すべて空であり、真実に出生したことがなく、世間に一つの法も得られないことを知る。このように観察できる菩薩は、真に一切法空、一切法無生を証得し、四果阿羅漢の解脱境界に相当する。一切の法が得られないが故に、一切の法もまた造作することがない。造作することがないが故に、一切の法は畢竟不生であり、出生したことがない。一切の法が畢竟不生であることを証得し、この理を認めることが無生法忍である。この無生法忍を証得すれば、無上菩提の大道において再び退転せず、永遠に菩薩道を行じるのである。

無生忍はただ五蘊の人我が空であることを知るに過ぎないが、無生法忍は五蘊の人我が空であることを証得するだけでなく、一切の法がすべて空であることも証得し、その範囲は非常に広く、程度は非常に深遠である。地前の菩薩や阿羅漢の及ぶところではない。地後の菩薩は、無生法忍の智慧があるが故に、修行と弘法以外は世間の事を造作せず、世間の利益のためではなく、名聞利養を喜楽せず、一心に仏道にあるのである。

——生如法師の開示
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