断我見 (ahaṃkāra-mamakāra-parityāga)もまた同様であり、意識には意根を導く十分な智慧が必要であり、意根の心性が有効に降伏されて、意識の思惟と導きに順従できるようになるためには、意根にそれほど強烈な我見と我執があってはなりません。普段から、意識と意根を訓練して色身をあまり考えさせず、五陰 (pañca-skandha)の功能作用への執著を少なくさせ、貪執を軽減させておかなければ、色身の感受を次第に空じていくことはできません。意根があまりに我に執著しているときは、導きも観行 (vipaśyanā-caryā)もできないのです。意識もまた、身見の内容とは何か、我見の内容とは何かを多く理解しておくべきであり、そうしてはじめて方向と目標をもって観行と反観 (pratyavekṣā-bala)ができます。もし身見と我見の内包と範囲を知らなければ、観行によって身見と我見を断じることはできません。
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