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日常法話

2021年02月08日    月曜日     第3開示 合計3075開示

瑜伽師地論第十巻(十二因縁)

(二十六)原文:如无明缘行道理。如是爱缘取。取缘有道理。当知亦尔。如行缘识道理。如是有缘生。当知亦尔。如识缘名色道理。生缘老死。当知亦尔。 

解釈:無明縁行の道理と同じように、愛縁取、取縁有の道理も、またそうであると知るべきです。行縁識の道理と同じように、有縁生もまたそうであり、識縁名色の道理と同じように、生縁老死もまたそうなのです。 

同じ道理に基づいて、以下のような支分をこのように思惟(manasikāra)すべきです:どのような名色が有らざれば、六入処 (ṣaḍāyatana) はなく、どのような名色が滅すれば、六入は滅するのか;どのような六入が有らざれば、触はなく、どのような六入が滅すれば、触は滅するのか;どのような触が有らざれば、受はなく、どのような触が滅すれば、受は滅するのか。どのような愛が有らざれば、取はなく、どのような愛が滅すれば、取は滅するのか;どのような取が有らざれば、有はなく、どのような取が滅すれば、有は滅するのか;どのような有が有らざれば、生はなく、どのような有が滅すれば、生は滅するのか;どのような生が有らざれば、老死はなく、どのような生が滅すれば、老死は滅するのか。これらの問題はすべて、定 (samādhi) の中で一つ一つ細かに思惟観行 (vipaśyanā-caryā) しなければなりません。 

原文:问。何等受不有。故爱不有。何等受灭。故爱灭耶。答。如行缘识道理。当知亦尔。 

解釈:問:どのような受が有らざるがゆえに、愛がないのでしょうか。どのような受が滅したがゆえに、愛が滅したのでしょうか。答:行縁識の道理のように、またそうであると知るべきです。三種の受が運行の中にあり、運行が終われば滅しますが、受に対して何ら対治の方法がなければ、受は際限なく運行し続けます。受が存在するがゆえに、愛がそれに伴って現れるのです。もし受が滅して、何の法も感受しなくなれば、法に対する愛もまた生まれることはありません。すべての受が滅すれば、愛もことごとく滅するのです。

——生如法師の開示
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