衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年09月27日    木曜日     第2開示 合計853開示

修定の原理

意識がじょうに入ろうと座った途端、じソの準備をするのですが、長く座っても定まらず、愁い顔一つで悩んでいました。意根を繋ぎ止めて、あちこち勝手に走り回らなくなるようになって初めて、意識は次第に定まっていきます。では、意識はどのようにして意根を繋ぎ止めるのでしょうか。

意識は定を修めようとすれば、強引に心を一処に制して意根の乱れた攀縁に対抗します。時間が経つと、意根は乱れた攀縁をしても無駄だと知り、六識が随順しようとしなくなるので、意根は次第に定まってきます。このとき、意識は初めて真に定を得ることができるのです。

意識は分別の慧が強く、心が散乱していることのさまざまな過失を知るので、定を修めたいという欲求が生じます。このとき、強引に心を一処に制することによって意根を繋ぎ止め、意根を少しずつ従順に調伏させていくことができます。意根が先に清静 (praśama) になってこそ、意識は真に定まることができます。しかし、意根が清静 (praśama) になるには、まず意識による薫染と心一処の制御に頼らなければなりません。両者は相輔相成であり、どちらか一方の協力が欠ければ、心は定まりません。

意根という牛が意識によって少しずつ手なずけられた後は、勝手に草を食べず、他人の苗や畑を踏み荒らさなくなるので、意識はようやく安心できます。意識は意根という牛の背に乗った牛飼いの童子です。意識という牧童が遠く杏花村を指せば、意根という牛は牧童を背負ってゆっくりと杏花村へと歩いていきます。仏を学ぶとはまさにこのようなものです。意識が意根を降伏させるのは、意根に自分を正しい道へと導かせるためです。意識は意根という牛の背の上では自らを主導できず、自分一人で降りて歩くこともできないので、目的地に達するには意根に頼らざるを得ないのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根をいかに成功裏に薫修するか

次へ 次へ

修行の歩み

ページトップへ戻る