衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年09月26日    水曜日     第1開示 合計850開示

仏道の修行とは、意根に一切法が我ではないことを確認させることです。

仏道を修行するとは、意根に一切の法が我ならざることを悟らせることにあります。一旦その全てを悟りきれば、悟りの境地に至り、もはや修行する必要はありません。一部分を悟れば一部分の解脱を得、全てを悟れば完全かつ徹底的な解脱を得ます。我あることは業障であり、無明であります。我あるが故に様々な障りが生じるのです。無我であれば、もはや何ものも遮るものはありません。

故に我々は常に我を前面に押し出し、自分がいかに偉大で、いかに聡明で、いかに智慧に満ち、皆を超えているかを示そうとしてはなりません。このような我慢は甚だしく、完全に自らの道業を遮障し、進歩どころか退歩さえ招きます。我慢のために仏道から退転し、善法の利益を失った人々を多く見てきましたが、誠に賢明とは言えません。

——生如法師の開示
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不断なる薫習を通じて無我の認知を形成する

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意根の我見を断つことこそが真の我見を断つことであります

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