衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年09月23日    日曜日     第1開示 合計844開示

無心定と真如三昧の相違

無心定とは、定境に住し、念無く想い無く、為す事無く、白く思い無く、意識が観照を起こさず、思惟を起こさない状態を指します。ちょうど『楞厳経』において世尊が説かれた「内に守って悠閑な状態」のようなものです。これらは全て意識の閑暇な状態に過ぎません。ある人々はこの状態を念いの起こらない真如と誤解し、真如三昧を証得したと考えてしまいます。

実際、真如は元来一片の念想も有しません。禅定を修めるか否かに拘わらず、常にこのようなものであり、故に真如の状態は永遠に変化しません。一方、禅定中の意識が念いを起こさない状態は、修めることで得られるもので、先に無く後から有るものとなります。そうすると有ったものが再び無くなり、遅かれ早かれ消滅する生滅変異の法は、不生不滅の真如とは異なり、真如三昧の境界とは等しからざるものです。

——生如法師の開示
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衆生の己れへの盲信

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