衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年09月21日    金曜日     第2 回の開示 合計838回の開示

観行と参禅の奥義

我見を断つ際には、まず意識が意根に必要な証拠とデータを十分に提供しなければなりません。その後、意識は思考を控え、働きを減らし、意根の心理活動に協力しながら、意根自らが思量し考察することを許します。そうすることで、意根が自ら事実を検証できるようにするのです。もし意根が事実が不十分で証拠やデータが不足していると感じた場合、意識は再び観行を思考し、データを収集して意根に渡します。意根は深く思量し考察を重ね、意識が傍らで絶えずデータを補完することで、意根は加工を続け、思考を完成させ、ついに確固たる証拠に基づく結論を導き出し、証果を得るのです。

処理すべき事柄が多い場合、意識が禅定から出て六塵を了別する必要があっても、意根は密かに修行を続けられます。行住坐臥において参究を離れず、夜間の夢有无に関わらず修行可能です。意根が事の重大さを実感すると、飲食睡眠を廃する決断を下すこともあります。なぜなら意根が精進する際、日常活動が専心を妨げ、雑事に気を散らすからです。五陰の他の活動を減らし、集中を保つことを選ぶのです。睡眠中に意識の補助がなければ、意根は充分なデータを得られず、参究を進められないため、意根は睡眠を断ち意識が滅することを許しません。

一切法の参究において、最初は意根が意識の思考分析に協力し、データ収集を補助します。意識が充分な資料を集め終えると、今度は意識が意根の熟考に協力し、加工・統合・審査の作業を支えます。意根に多くの思考を委ね、意識の活動を抑えることで、参究作業は迅速に完成するのです。

意識の思考活動を抑え意根の思量を活発化させるには、禅定を修める必要があります。禅定中であれば、意根は専心して参究を続けられます。完全に一処に定まることはできなくとも、少数の法に定まれば十分です。参究対象以外の事柄は軽く了別する程度に留め、修行に支障を来さないようにします。観行は禅定中に行い、意識が感情的に解釈することを禁じ、意根の思量機能を最大限に活用するのです。これこそが観行と参禅の奥義であり、自ら五蘊無我を証得する道なのです。

したがって、意根が法を証得しなければ明心も我見断ちも達成できません。禅定中の参禅観行においては、意識の思考を抑え、意根の思量を主とするのが秘訣です。

意識の協力がなくとも、意根は法義を参究し思量できます。ただし時間を要し、時期は不定です。ただし前提として、意識が思考内容とデータを意根に渡す必要があります。意根が拠り所とする思考材料があって初めて、思量を完成させ証得できるのです。例えば夜間未解決の問題を抱えたまま眠りにつき、翌朝目覚めた瞬間に答えが閃く経験があります。これは夜通し意根が働き続けた証左です。就寝時に意根に問いを残すと、目覚めと共に解答を得る――多くの修行者が類似の経験を有しています。

また、思考中の問題が未解決のまま他の作業に移り、表面的には忘却したように見えても、突如として答えが浮かぶ場合があります。これは意根が背後で黙々と思量を続け、遂に結論を導いたためです。修行の要諦は意根を多用することにあり、意根による修行こそ真の修行であり、一切法を証得し一切智を獲得する道なのです。

——生如法師の開示
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