初禅が現れる条件は五蓋を降伏させることにあります。貪欲・瞋恚・睡眠・散乱・掉挙を効果的に制御し、財産・色欲・名誉・飲食・睡眠をできる限り遠ざけることによって、初禅定を発起することができるのです。
五蓋とは貪欲・瞋恚・睡眠・掉挙・疑いを指します。内に瞋恚があれば思念と覚観が常に現前し、心が平静を保てず禅定は現れません。貪欲があれば心が縁に攀じ続け、寂止を得られず修定は困難です。睡眠は昏沈に属し、心が濁り清浄でないため禅定を妨げます。掉挙は過去の人事に心が縁取り、追憶を絶やさず覚想を継続しようとするため、これも禅定を妨げるのです。
疑いは未解決の問題を抱え、自己・他人・法への疑念が心に懸かり続けることで覚観が絶えず、禅定を阻みます。後悔は過ちを思い煩い、思慮と煩悩が絶えないため六識が寂静せず、禅定は現前しません。故に修定前には自心を点検し、心の塵芥を払い清め、内心が空浄となれば坐禅と共に定が生じ、平常時も無事の心で起居坐臥に禅定が現れるのです。
五蓋を降伏させるには出離心と強烈な修道心を起こし、欲界世俗の物質的享楽を貪らず、衣食住に執着せず無心となる必要があります。これにより心が無住となり欲界法を遠離し、色声香味触への貪愛を離れることで初禅定が発起されるのです。
現代人は享楽と生活の快適さを重んじ、体面を気にし絶えず他人と比較するため、心が世俗に沈淪し禅定の発生を著しく妨げています。衣食住に過度に執着する者は禅定を得られません。色界初禅天人は舌識がなく飲食を要しませんが、味塵に貪着すれば初禅定は現れず、鼻識がなく香りを嗅がぬ天界に対し、香塵に執着すれば同様に初禅定は生じないのです。
人世間の法を貪らなければ欲界天の定が現前し、世間事に興味を失えば欲界定が生起します。人間界への愛着があれば欲界定は得られません。欲界天人の境界を離れ、下界の享楽を捨てることで色界の禅定が生じ、これが禅定現前の法則と条件です。
日々欲界の事柄に没入し計算を巡らす者は初禅定を得られず、全てを追求し他人を凌駕せんとする者は禅定を発起できません。修行で得た福徳を物質的享楽に費やせば道業に必要な福が不足し、修道用に福を蓄えることで初めて道業は進展するのです。
11
+1