衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年03月17日    水曜日     第1開示 合計3195開示

阿毘達磨倶舎論第九巻

原文:论曰。于宿生中。诸烦恼位。至今果熟。总谓无明。彼与无明俱时行故。由无明力。彼现行故。如说王行。非无导从。王俱胜故。总谓王行。于宿生中。福等业位。至今果熟。总得行名。 

解釈:論に説かれているように、過去生におけるすべての煩悩の位は、現在に至って果が熟するまで、すべて無明と称される。それは煩悩も煩悩の果も無明と同時に運行するからであり、無明の力によって、煩悩が現行として現れるからである。例えば国王の出行というように、導き従う者がないわけではない。国王があらゆる面において勝れているがゆえに、王と従者たちの行をすべて王行と称するのである。過去生において、福などの業の位は、現在に至って果が熟するまで、すべて行の名を得るのである。 

原文:初句位言。流至老死。于母胎等正结生时。一刹那位五蕴名识。结生识后。六处生前。中间诸位。总称名色。此中应说。四处生前。而言六者。据满立故眼等已生。至根境识。未和合位。得六处名。已至三和。未了三受。因差别位。总名为触。已了三受。因差别相未起淫贪。此位名受。 

解釈:生命は最初の位から数え始め、老死の位まで流転する。母胎などの位において正式に結生する五蘊のうち、一刹那の位の五蘊には六識が出生する。結生する六識は後の位であり、前の位では六処が先に現れる。六塵と六識が出生する中間のすべての位は、総称して名色と呼ばれる。ここでは四処(耳処・鼻処・身処・意処)が先に生じると言うべきであるが、六処と言うのは、名色の満位に基づいて立てているからである。眼などがすでに生じていても、根・境・識がまだ和合していない位では、六処の名を得るのみである。すでに三和に至っていても、三受がまだ了知されていない、因の差別の位は、総じて触と名づける。すでに三受が了知され、因の差別の相はあるが、まだ淫貪が生起していないこの位を、受と名づけるのである。 

解釈:生命は最初の位から数え始め、老死の位まで流転する。母胎などの位において正式に五蘊を結生する際、一刹那の位の五蘊には六識が出生する。結生する六識は後の位であり、前の位では六処が先に現れる。六塵と六識が出生する中間のすべての位は、名色と呼ばれる。ここでは四処(耳処・鼻処・身処・意処)が先に生じると言うべきであって、六処ではない。この時点ではまだ眼処と舌処は生じていないからである。六処と言うのは、名色の満位に基づいて立てているのである。名色が満位に達していない時は、眼根と舌根は具足していても、眼識と舌識はまだ出生できず、根・塵・識の三者が和合できないため、六処の名だけがあって、六処の用はまだない。根・塵・識の三者が和合できるようになっても、三種の受が出生していない時、中間のさまざまな差別の位は、すべて触と呼ばれる。すでに三種の受が現れ、中間にさまざまな差別の相はあるが、まだ貪愛が生起していない時を、受と呼ぶのである。 

原文:贪妙资具。淫爱现行。未广追求。此位名爱。为得种种上妙境界。周遍驰求。此位名取。因驰求故。积集能牵。当有果业。此位名有。由是业力。从此舍命。正结当有。此位名生。当有生支。即如今识生。刹那后渐增。乃至当来。受位总名老死。如是老死。即如今世。名色六处。触受四支。辩十二支。体别如是。 

解釈:美しい資生の具を貪ることによって、淫欲の貪愛が現行として現れるが、まだ広く追求していない時、この位を愛と呼ぶ。さまざまな上妙の境界を得るために、あまねく馳せ求める時、この位を取と呼ぶ。馳せ求めるがゆえに、業行が集積して後世の果報業を牽引できるようになる時、この位を有と呼ぶ。このような業力によって、ここで命を捨てた後、未来世の有を正式に結生する時、この位を生と名づける。未来世の有の生支は、すなわち現在の六識が造作した業によって引き生じたものであり、有の生が現れた後、刹那の後に名色五陰が次第に増長し、未来世に至るまで、生の後の受の位はすべて老死の位と総称される。このように老死とは、すなわち今世の名色・六処・触・受の四支である。以上が十二支の体の分別である。 

問題:私たちが毎日経験する現象のうち、どのようなものがあまねく馳せ求めることに属し、どのようなものが貪愛に属するでしょうか?

——生如法師の開示
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