衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年09月04日    火曜日     第1 回の開示 合計809回の開示

定とはどのような状態か

定とはどのような状態でしょうか。例えばぼんやりと放心している状態が挙げられます。放心時、意識心が一境に専念し、その境に定まって動かず、表面的な思惟作用が止み、法塵が深く意根に植え付けられます。すると意根は主要な精力をこの法塵の境界に集中せざるを得ず、深く思量する必要に迫られます。これにより智慧が開かれ、当該法塵境界の根源と本質を明らかに理解できるようになるのです。これは意識と意根が共同で作用した結果であり、意識が深微に思惟し、意根が精神を静めて思考を助け、自ら思量に参与することで、定慧が現前するのです。

世俗法においても同様の状況が多く見られます。解決すべき重大問題に直面した時、意識が放心状態に入り深く思惟に没頭し、意識の動きを減らし、分析や情意的解釈を控えると、心の深層である意根がこの重大事を懸念し続けることで、事態を明瞭に把握でき、解決策が自然と現れます。放心による集中力を延長すればするほど良く、意根への浸透が深ければ深いほど良く、意識の思惟が少なければ少ないほど良く、時節因縁が具われば、いかなる法も証得できない道理はありません。何故人々が仏典と法義を理解できず、他人の言語と心理が分からないのか。それは禅定が不足し、智慧が十分に開けないためです。禅定が不足するのは、つまり福徳が欠如しているが故に、心が浮つき思惟が浅薄だからです。

放心状態は空ではなく、一念も生じない空無状態でもなく、呆然とした状態でもありません。深甚な思惟活動が存在し、公案参究に類似し、法義を深く究明する状態です。放心時には、意根を明らかに把握し、その心理活動を抽出することが最善です。

問題に遭遇した際、目を見開いたまま動かさず、意識が直ちに定まり、まっすぐに保たれ、脳の深層で回転し思惟が続く状態――非常に深く、極めて秘匿された状態です。表面的には思惟が停止したように見えますが、実は深層で活動が続き、表に現れないのです。これは意根に深く入り、意根を活性化させ、意識の分析を減らし、意根に多くを委ね、自ら法を縁とすることで、智慧の潜在能力が発揮されるのです。これが参究の原理です。

禅定とは何かを理解せず、修定もできず、意根を使いこなせない人もいます。今後は意識の浅薄な思惟を控え、意根を多く参与させるよう心掛けるべきです。これを参究と言い、智慧は必ず開発されます。五蘊を思惟すれば我見を断じ、禅を参究すれば明心証悟を得、仏性を参究すれば如幻観を証得し、七識の幻化を観行すれば陽炎観を証得し、万法が夢幻泡影の如きを観行すれば夢幻観などを証得します。あらゆる観行は現量観・現量証であり、決して情思意解や想像ではありません。

——生如法師の開示
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