貪りとは、貪愛と執着を指し、愛とは喜びと楽しみを愛することを意味します。三界への喜びと楽しみが消え去ると、愛は断たれ、愛が断たれることで三界の業は尽きます。欲と貪りが断たれると欲界の束縛が解け、欲界を超越することができ、色界の初禅定が必ず現れ、命終すれば色界天に生まれます。男女の欲愛が深い者は初禅定を得られないばかりか、欲界の未到地定すら持てず、欲界の最も粗浅な定さえも得られず、一片の禅定も存在しません。
全ての禅定は心が天人の境地と相応じ、人間界の境界とは相応じないものであり、心性が人間を超えれば境界も人間を超えます。欲界定を持つ者の心は必ず人間界の欲念を淡泊にし、色界定を持つ者の心は欲界の人間・餓鬼・畜生・欲界天人の境地を淡泊にし、無色界定を持つ者の心は色界と欲界の境地を淡泊にします。
禅定の有無は全て心の念いにかかっており、心の念いが動けば定は即座に消滅します。これが心念の力です。自身の禅定が修まらないと嘆く者は、自心の念いが清浄であるか、人間界の人事物理に過度に執着していないか、心の念いが人間界の事柄にばかり向けられていないかを検べる必要があります。もし念いが清浄でなければ、無理に座禅を組んで修定しても何の役にも立ちません。
15
+1