時間は四大によって構成された実法ではなく、如来蔵が直接出生させたものではありません。如来蔵が物質色法を出生した後に現れた仮の相であって、外塵ではなく、如来蔵が縁とすることはできません。眼識と意識が生じた後に初めて、物質色法に依拠して時間を判断し了別することができるのです。眼識と意識がない場合、例えば睡眠時においても、意根は時間を判断することができ、これも如来蔵が出生させた物質色法に依拠して了別判断します。したがって、時間という単独の法は存在せず、外相分と内相分にも分かれません。意根は外相分と内相分に属さない法をも了別することができるのです。
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